政治家上村憲司 津南町はこうして生まれ変わる

自治体のトップになることは、政治家や官僚からすれば夢のようなことです。政治家は地元に錦を飾ることができ、官僚や公務員は自分が積み重ねてきたことをさらに大きく発展させることができるためです。そんな中、長年県議会議員として働き、地元で政治家人生の総仕上げを行った人物がいます。その名は上村憲司さん。20年間の県議生活、そこから引退をしたはずが復活し、2期8年を勤め上げました。この2期8年で上村憲司さんがどんなことをしてきたのか、解説します。

津南町はこんなところ

新潟県中魚沼郡津南町は、2021年4月時点で8,875人が暮らす自治体です。1950年代や60年代には2万人ほどいた人口は一気に減り、2015年にはかろうじて1万人いたものの、それ以降1万人の大台を割ってしまいました。年齢別の人口分布を見ても、極端に若者が少なく、働き手を担う30代40代の割合も平均を大きく下回ります。一方で70代以上の人が平均を大きく上回るなど、明らかにバランスを欠いた状況となっています。産業こそ、魚沼産コシヒカリがあるものの、農業の担い手も減りつつあり、大変な状況です。

津南町は平成の大合併が展開されていく中、住民投票で反対が多かったために十日町市への合併を見送り、独自での発展を目指していく流れになっていきます。その流れが作られ、人口減少の状況が続く中でどのようにかじ取りを行っていくのか、そのタイミングで上村憲司さんが町長となったのです。

突然襲った震災と巻き返し

上村憲司さんが津南町の町長として活動を始めて間もない2011年、東日本大震災が発生します。その翌日、長野県付近でも大地震が発生、津南町を震度6弱の揺れが襲い掛かったのです。マスコミや日本国民は津波で襲われた三陸地方などに目を奪われる中、津南町でも大地震が襲っており、大きな被害を受けていました。上村憲司さんはこの処理に追われ続けることになります。そして、一段落をした時期から津南町の将来を切り開いていくための対策をとっていくのです。

津南町は豪雪地帯として有名で、冬になれば2メートル、3メートルの雪が降ってくることもザラです。雪に覆われることは明らかにマイナスである一方、この環境をプラスに転換できないかと上村憲司さんは考えます。津南町には上村憲司さんの前の町長が設置した「自律推進室」の存在が有名です。自分たちの力で町を守り、発展させていこうという力強い気持ちから作られており、事業の見直し、人事や給与の見直しなど構造改革につながっていく施策をどんどん行ってきました。

公務員だけでなく町民も参加した自律推進室は、津南町の行政システムを変え、よりコンパクトな形にしています。意外なことに荒れだけの雪が降っていながら、1キロメートルあたりの除雪費は最低レベルであると上村憲司さんは明らかにします。それは決してケチだからではなく、津南町で重機を持っており、職員が除雪を行っていくため、人件費が発生しにくくなっているのです。この職員は臨時雇用の職員で、冬に働き口を求める農家の人たちが務めます。このような改革を積み重ねていき、体質改善に努めてきました。

雪を生かして「ブランド物」を作る

津南町の特徴はたくさん雪が降ることです。この雪をどのように活用するのか、ここで注目されたのが「雪中貯蔵」です。雪の中に野菜や花を漬けておくことでニンジンは甘くなっておいしくなり、津南町名産のカサブランカは鼻もちがよくなると言われています。津南町のカサブランカが最高値で扱われ、そこから他のユリの値段が決まっていくため、ユリの値段を左右する大事な存在になっています。雪を生かしてブランド物を作る、それが上村憲司さんの考えです。

また湧き水が多く出るのも津南町の特徴で、この湧き水をいかに利用するかもポイントなんだとか。現在ファミリーマートで販売されている「天然水新潟県津南」は、2014年から発売され人気を博しています。津南町の名産をどんどん生み出し、それを全国展開させていくことで、津南町のブランドを高めていくことにもつながっていくわけです。しかも、工場を作ることで若い人たちの働き口を確保する狙いもあるんだとか。水がおいしいからおいしいお米もとれ、野菜も生まれる、津南町の強みはしっかりとあり、あとはいかに人を呼び込むかだけです。

まとめ

自律推進室は上村憲司さんの前の町長が生み出した組織であり、構造改革は前の町長が積極的に行ってきました。この流れを受け継いだ上村憲司さんは間違いなくその役目を果たしていたと思われます。現在町長を務める桑原悠町長は、2人の子供を育てながら町長を務めており、まさに津南町が求める子育て世帯です。長年続く改革の動きは、段々と実を結び始めており、今後の展開に注目です。

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