異例の転身を遂げた男 後藤田正晴

警察のトップを務めたのち、還暦を過ぎてから議員になった人物がいます。それが後藤田正晴さんです。学生運動などで大変な時期に警察のトップを経験し、自民党に入ってからも自民党が最も混乱した時期を過ごしました。

 

カミソリ後藤田

後藤田正晴さんは1914年8月9日生まれで、父親は政治家を応援するパトロンのような存在で、地元の名士と呼ばれる人物でした。しかし、後藤田さんが7歳の時に父親が亡くなり、後を追うように母親も亡くなったため、後藤田正晴さんは知り合いの家に預けられますが、そこで手厚い扱いを受け、しっかりとした教育を受け、現在の東京大学にあたる東京帝国大学法学部に入ります。

卒業後は土木や警察業務などを管轄する内務省に入り、戦時中は兵士として過ごしたのち、内務省に復職しますが、立法が苦手だったため、警察へ異動を希望し、1947年に警視庁に。その後は警察官僚として歩みを続け、1963年に警備局長、65年に刑務局長、警察庁次長を経て、1969年警察庁長官に就任します。よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件など警察のナンバー1として陣頭指揮にあたりました。

1972年に警察庁長官を辞任すると、すぐに田中角栄氏に抜擢され、官房副長官に抜擢されます。田中派の一員になった一方、地元選挙区には三木武夫氏がおり、晩年まで三木氏とのバトルを展開し続けます。1976年、62歳で初当選を果たすと、当選が少ない議員にしては異例ながら大臣に抜擢され、中曽根政権になってからも官房長官や総務庁長官、法務大臣、副総理などを歴任します。

結局1996年まで議員を務め、84歳まで議員を続けていた後藤田正晴さん。2005年にこの世を去りますが、自分の子供には二世議員にならないようお願いをするなど、最後までしっかりとした考えを貫く人物でした。

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