2009年に日本では自民党から民主党へ政権交代が行われました。この政権交代の足がかりになったのは参議院で先に自民党や公明党を過半数割れに追い込んだ2007年の選挙です。民主党参議院議員として2期12年を務めた内藤大臣は、まさに民主党の歴史を知る人物です。
画期的な場面に何度も出くわす内藤大臣

内藤大臣が初当選を果たしたのは1998年のことです。1998年の参議院選では、景気悪化の状態にあり、いかに景気を良くしていくかが焦点になっていました。当初自民党は勝利を収めると予想され、投票日の数日前までは現状維持の議席は確保できるという話が出ていたほどです。しかし、政権内部で発言が迷走したことで支持率が低下、選挙戦略も失敗したことで、惨敗を喫します。この時民主党は野党第一党となり、当時の橋本龍太郎首相は退陣を余儀なくされます。内藤大臣の初当選時、自民党はかなり難しい政権運営を余儀なくされたのです。のちに自由党や公明党との連立政権が誕生するなど、参議院が1つの戦いの場となっていきます。
2007年になると、第一次安倍政権で度重なる不祥事が発覚したものの、郵政選挙で獲得した議席数をいいことにムチャな国会運営を行い、世間からバッシングを受けます。この結果、2007年の参議院選で自民党は惨敗し、野党が過半数を握る事態となりました。内藤大臣からすれば、2回目のねじれ国会となります。1回目のねじれ国会は連立政権が誕生したことですぐに終わりましたが、2回目のねじれ国会は実に2年以上続きます。
内藤大臣は参院議員として奮闘し、2009年に政権交代した際には総務副大臣となりました。2010年に引退した後もしばらくは総務副大臣を務めています。激動の参院を現役の議員として勤め上げたのが内藤大臣です。