長年日本の政治は55年体制と呼ばれる、自民党と社会党が与党と野党の第1党を占める時代が続きました。社会党が政権を握るなんてことは難しいと言われた時代もあった中、55年体制が崩壊して間もなく社会党の党首が総理大臣となりました。この時の総理大臣が村山富市さんです。
まゆげがトレードマーク

村山富市さんは1924年3月3日生まれで、現在97歳です。11人兄弟の6男として生まれた村山富市さんでしたが、若い時に父親が亡くなり、新聞配達をしながら勉学に励んでいました。昼間は働き、夜は学校で学ぶ生活が続いた中、途中学徒出陣で戦争を経験したのち、地元の大分に戻ります。
1955年大分市議会議員選挙に日本社会党から立候補して当選すると、1963年には県議選に鞍替えし当選、今後は1972年に衆議院議員選挙に鞍替えし、トップ当選を果たします。社会党は反自民党の受け皿として一定の力を持ち続けており、55年体制と呼ばれ安定した日本の政治体制を、良くも悪くも作っていた時代でした。
しかし、1993年の衆議院選挙で新党ブームが巻き起こり、自民党も社会党も惨敗します。自民党は過半数を割り込んだため、自民党以外の連立政権が誕生し社会党が連立内閣の一員となりました。社会党は惨敗し、当時の委員長は辞任、代わって委員長になったのが村山富市さんでした。連立政権は長くは続かず、社会党以外の政党が結託したことで村山富市さんは離脱し、自民党と組むことになります。因縁のライバル同士が手を結ぶことは、自民党でも強い反発があり、首班指名で村山富市さんに入れない自民党議員も出た中、決選投票を経て、村山富市さんが総理大臣となりました。
1年半近くの在任中、阪神淡路大震災やオウム事件など日本を揺るがす大事件を国のトップとして経験しましたが、現在も地元大分で存在感を示し続けています。